板橋区は私の故郷 浪江じん
私は医療関係の仕事に従事していた者です。
早いもので、今年で90歳という後期高齢者に到達します。過ぎ去ってみますと何と短い人生の歩みだったかと思います。そして、「もう90歳か」と落胆、表向きはどうあれ密かに溜め息をもらしてしまう今日この頃です。
昭和50年4月、東京都から23区へ衛生行政の業務が移管されました。区としては初めての仕事、幸いにして、東京都から衛生行政に精通された上司と優秀な職員の配置により、全員で業務の発足に向けて昼夜を問わず難題に取り掛かることができました。
昭和52年には、在宅訪問看護制度が発足し、蓋を開けてみれば、驚く程の膨大で、多種多様、多岐にわたる生命に関連するものばかり、ひと時も気を緩められるものではありませんでした。反面、遣り甲斐を得られる仕事でもありました。事務室内は常に朗らかに、口も八丁手も八丁でした。
当時の仕事に従事していた優秀な職員は現在もどこかの職場で先頭に立って、素晴らしい活躍をされておられます。(制度の基礎資料と概要は、厚生省(当時)からの依頼により、送付され国の制度設計の参考となった。)
常時仕事が私を追い掛けていました。そんなある日、心温まる相談が舞い込んでまいりました。それは、新婚カップルから「子作り」相談でした。早速仕事の合間を利用、ペアー面接「荻野方式」を参考に相談させてもらいました。
後日、成功された報告が届き、たいへん嬉しいほのぼのとした相談で、今でも忘れられません。
当時、仕事を共にした皆さんとは、今までも交流を重ねて、楽しかったこと、大変だったエピソードなどを語り、話に花を咲かせています。そして、板橋区は、私にとって第二の心の故郷です。
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